わしが反日ハンター・神功正毅ぢゃ。
11月23日に行われた「村山談話を徹底的に糾弾せよ、村山富市を許すな! 」に参加した。
その報告をしよう。
これがその時の映像ぢゃ。
(1/2)村山談話を徹底的に糾弾せよ、村山富市を許すな!
http://www.youtube.com/watch?v=DfAlM__g93M
(2/2)村山談話を徹底的に糾弾せよ、村山富市を許すな!
http://www.youtube.com/watch?v=8f_Itp8YY1o
この活動は11月23日(土)にクレオ大阪東ホールで行われた
シンポジウム 「歴史の真実はひとつ」
談話はいかにしてつくられたのか、そしていかに引き継ぐか
― 侵略 「慰安婦」 植民地支配 ―
に対する抗議活動ぢゃ。
このシンポジウムに参加予定だった村山富市元首相は欠席したそうぢゃが、活動には20人の参加者が集まり、民族派も10台の街宣車を動員するなど「会場の外」は大盛り上がりぢゃった。
村山談話は自称「従軍慰安婦」が日本軍に強制連行され、性奴隷にされたなどとする虚構を元に作成された談話ぢゃ。
その虚構をいくつか紹介しよう。
(自称)従軍慰安婦 「李容珠(イ・ヨンス)」の証言。
1944年、16歳の時に強制連行され台湾へ。
旧日本軍の従軍慰安婦としての生活を3年間強制された。(1947年まで)
(※終戦により日本軍がいなくなった後も、現地で2年間ほど働いていたことになる)
このことを指摘され、2007年さいたま浦和の公演の配布資料では従軍慰安婦の期間を 3年間→1年間に修正
また、このように証言する人もいます。
チョン・ソウンの証言
「13歳(1937年)の時にインドネシアに強制連行され、従軍慰安婦として
7年間(~1946年まで)性奴隷にされた。」
2004年他界。享年80歳
(日本のインドネシア攻略は1941年。それ以前はオランダの植民地です)
「黄錦周」(ファン・クムジュ) の証言
(1)従軍慰安婦と戦後補償 / 著者:高木健一
「生活は貧しく、12歳(1934)のときに100円で売られた。ソウルの金持ちの家で小間使い。
1938年に威鏡南道ハムン郡で女中をしていた時に、その家の娘の身代わりとなって満州に連行され従軍慰安婦となった」
(2)国連・経済社会理事会クマラスワミ報告 / 1996年1月4日
「17歳(1939)のとき、日本人の村の指導者の妻が、未婚の朝鮮人少女全員に、日本軍の工場に働きに行くように命じました。そのとき私は労働者として徴用されたのだと思いました。」
(3)日本TV企業"TBS"「ここが変だよ日本人」というTV番組より(従軍慰安婦問題)
「私は19歳(1941)で学校を卒業する25日前に、日本軍に引っ張り出され、仕方なく慰安所に行ったんだ」
(4)「日韓社会科教育交流団韓国を訪問/1997夏期
「満18歳(1940)になったある日、男がやって来て、村から娘を提供するように言いました。」
(5)旧日本軍「従軍慰安婦」の証言を聞く集会 / 1997年12月5日
『村の班長(日本人)に「一家に一人は行かなくては」と脅され、1941年、韓国を離れましたが、到着した場所は、慰安所でした。』
6)黄錦周さんの証言を聞く会 / 2001.07.17 / 東京大学にて
「14歳(1936)のとき、いわゆる「少女出」で満州に連行され、皇軍兵士のセックスの道具にされた。つらい体験だった。」
そして極めつけなのが
売春婦かく語りき「朝鮮戦争当時日本軍に無惨に踏みにじられて悔しい思いをさせられた。」
でも紹介したキム・ボクトンの証言
「朝鮮戦争当時日本軍に無惨に踏みにじられて悔しい思いをさせられた。日本が誤りを悔いて慰安婦被害者の問題を解決できるように助けて」
このように巷で元従軍慰安婦と呼ばれている人々はコロコロ証言の内容が変わる者、ついには朝鮮戦争当時存在していなかった日本軍に無惨に踏みにじられたなどとボロを出す者まで出ておる。
このような輩の言うことが信用できるぢゃろうか?
「河野談話」「村山談話」「菅談話」のようにこのような輩に謝罪しなければならないのでしょうか?
このような輩に賠償しなければならないのぢゃろうか?
とんでもない!
このような輩の言うことを信用してはならない!
このような輩に謝罪してはならない!
このような輩に賠償してはならない!
彼女らを支援した連中もこのように言っておる。
吉田清次なる自称作家がデッチアゲましたが、当時の済州島の地元新聞、ソウル大学教授の調査、秦郁彦氏を中心とする日本の調査でそんな事実はまったくないことが確認され、吉田自身も「作家が多少の脚色をするのは当然!」とデッチアゲを認めておる。
大東亜戦争当時敵国だった米軍の慰安婦調査でも慰安婦の強制連行がなかったばかりか陸軍大将並みの給料をもらっていた者がいることが判明しておる。
msn産経ニュース/米側資料の慰安婦は「大金稼ぎ欲しいもの買えた」 韓国主張の性奴隷とは異なる風景
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131105/plc13110509210006-n1.htm
<引用開始>
根拠なく慰安婦募集の強制性を認めた河野談話が出されて以降、世界で慰安婦イコール性奴隷と流布されているが、現実はどうだったか。過去の米国の資料からは、それとは全く別の慰安婦像が浮かび上がる。
米国戦争情報局資料「心理戦チーム報告書」(1944年10月1日)は、米軍がビルマ(現ミャンマー)・ミートキーナ(同ミチナ)で捕らえた朝鮮人慰安婦20人らから尋問した内容をまとめている。それによると慰安所における慰安婦の生活の実態は、次のように記されている。
「食事や生活用品はそれほど切り詰められていたわけではなく、彼女らは金を多く持っていたので、欲しいものを買うことができた。兵士からの贈り物に加えて、衣服、靴、たばこ、化粧品を買うことができた」「ビルマにいる間、彼女らは将兵とともにスポーツを楽しんだりピクニックや娯楽、夕食会に参加した。彼女らは蓄音機を持っており、町に買い物に出ることを許されていた」
報告書はまた、「慰安婦は客を断る特権を与えられていた」「(日本人兵士が)結婚を申し込むケースが多くあり、現実に結婚に至ったケースもあった」と書いている。雇用契約に関しては、慰安所経営者と慰安婦の配分率は50%ずつだが、平均月収は1500円だった(当時の下士官の月収は15円前後)。
国連人権委員会に96年、慰安婦を性奴隷と位置づける報告書を提出したクマラスワミ特別報告官と会い、慰安婦問題について説明したことがある現代史家の秦郁彦氏は次のように語る。
「クマラスワミ氏は、河野談話は『強制連行』とは書いていないが、それを否定していないと解したのだろう。河野談話は日本政府の談話であり、国連などの場で他者を説得するには一番便利だ。また、外国人の感覚では『悪いことをしたから謝るのだろう。やはり強制連行をしたのだ』と受け止めるのも無理はない」
<引用終了>
この記事の
>外国人の感覚では『悪いことをしたから謝るのだろう。やはり強制連行をしたのだ』と受け止めるのも無理はない」
ここに注目せよ。
日本人は相手が怒ったらとりあえずその場を治めるために謝っとけという感覚を持ちがちぢゃが、外国人にはそれは通用しない。
特に韓国人には。
なぜなら、彼女らは
優しさと弱さ
謙遜と卑屈
堂々と傲慢
謙譲と敗北
謝罪と降服、刑罰、隷属、自殺
の区別がつかない気質を持つ人間だからぢゃ。
併合時の日本政府から朝鮮総督府への通達
一、朝鮮人には対等の関係を結ぶという概念がないので、常に我々が優越する立場であることを認識させるよう心掛けること。
一、朝鮮人には絶対に謝罪してはならない。勝利と誤認し居丈高になる気質があり、後日に至るまで金品を強請さるの他、惨禍を招く原因となる。
一、朝鮮人は虚言を弄する習癖を持っているので絶対に信用せぬこと。公に証言させる場合は必ず証拠を提示させること。
一、遵法精神がなく規則軽視、法規無視は日常の事である。些細な法規違反でも見逃さず取り締まること。
一、朝鮮人には日常的に叱責の態度で接すること。勝利感を持つと傲岸不遜となるので決して賞賛せぬこと。
一、朝鮮人を叱責する際は証拠を提示し、怒声大音声をもって喝破せよ。
一、差別、歴史認識等の暴言に決して怯まぬこと。証拠を挙げ大音声で論破し、沈黙せしめよ。
米軍による韓国兵の扱いマニュアル
1.韓国人には強気で押せ。抵抗する場合は大声で命令しろ。
2.命令を聞かない場合は身体で解らせろ。
3.同じことをくり返す場合、犬のように何回でも同じ様に叱れ。こちらが上と言うことを身体で解らせろ。
4.理由は聞くな。どうせ大したことは言っていない。
このような気質を持ち、「朝鮮戦争で日本軍にじゅうりんされた」などの数多くの矛盾に満ちた証言をする自称・「慰安婦」への誠実な対応はただ一つ、彼女らと村山富市を始めとするその支援者のウソを徹底的に暴いて自称・「慰安婦」とその支援者の信用を失墜させ、二度と我々の先人への冒涜をさせないことぢゃ。
日本政府は「旧日本軍「慰安婦」問題被害者」の声に耳を傾け、「「慰安婦」問題の更なる真相究明」に力を注ぎ、嘘つき追軍売春婦の謝罪・賠償要求を拒絶し、「河野談話」「村山談話」「菅談話」を
破棄せよ!
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