[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
反日ハンター・神功正毅です。 大東亜戦争当時、人手が不足していたのか沖縄県では5、6歳児をも飛行場の整備に狩り出していたようです。 いささか旧聞に属しますが、沖縄戦で負傷した民間人と遺族らが政府を相手に補償を怠ったのは違法として1人1100万円の損害賠償と謝罪を求めた訴訟の口頭弁論が17日、那覇地裁で行われました。 YAHOO!ニュース/痛み「70年消えたことない」=戦争被害、国に謝罪求める―沖縄戦訴訟・地裁 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150617-00000149-jij-soci <引用開始> 太平洋戦争末期の沖縄戦で負傷した民間人と遺族らが国を相手に、補償を怠ったのは違法として1人1100万円の損害賠償と謝罪を求めた訴訟の口頭弁論が17日、那覇地裁(鈴木博裁判長)であり、4回にわたった原告側の証人尋問が終わった。米軍の攻撃で負傷した男性は「痛みは70年間消えたことはない」と証言、国の責任を追及した。 原告は県内外に住む63~95歳の男女79人。国が国民を保護する義務を怠り、犠牲を強いたなどと訴えている。 3月に証言に立った宮古島市の豊見山貢宜さん(76)は、同市で日本軍の飛行場整備に関わっていた1944年、米軍が上空から撃った弾が両足を貫通した。2000年に援護法適用を申請したが、同市では地上戦がなく軍属には当たらないとして却下された。 法廷では「地上戦があろうがなかろうが現に傷を負っている。私の体を返してほしい」と戦争を起こした国の責任を問うた。 瑞慶山茂弁護団長によると、援護法の適用には、親族以外の3人以上の証言や軍属であった証拠が必要とされる。しかし、沖縄戦では米軍の艦砲射撃などにより一家が全滅するケースも多く、同弁護団長は「沖縄戦の被害の実態に照らし、基準を緩和すべきだ」と訴える。 原告団長の野里千恵子さん(79)は「戦後70年の今年が正念場。こんなに長い間放置されてきた怒りを、国は理解してほしい」と話した。訴訟は9月30日に結審、来年3月にも判決が言い渡される見通し。 <引用終了> ちなみに宮古島市の豊見山貢宜さん(76)が飛行場整備に携わり、負傷した昭和19年当時は5、6歳でした。 私は当時の彼のような幼い子供が飛行場整備に携っていたこと自体をウソと決めつける者ではありません。 なぜなら、大人に混じって滑走路予定地の石拾いや草むしり、(当時ロードローラーはなかったので)コンダラ Wikipedia/コンダラ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%A9 を使って地均しをすることは可能だからです。 しかし、「米軍が上空から撃った弾が両足を貫通した」とする彼の主張はウソです。 まずは米軍機が標準装備していたブローニングM2の実弾射撃の映像をご覧ください。 ブローニングM2重機関銃 グアム実弾射撃 ワールドガン 機関銃 _ "機関銃" - 機関銃 https://www.youtube.com/watch?v=5bVJsR6Vq2s こんな破壊力のある機銃弾が子供の足に命中して穴が開くだけで済むでしょうか? 足がもげてしまうわ! 豊見山貢宜を含む原告団よ、「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」 と打電し、自決した海軍沖縄根拠地隊司令官・太田実は泣いているぞ! 沖縄県民よ、那覇地裁の裁判官と国民を欺くのを止めろ!
忍者ブログ [PR]